2014年06月09日

2014.6.9

2014.6.4

お別れは突然やってきた。今、思い返してみても1週間前なら考えられなかったことだ。

6月4日、朝、突然の電話を家人が私に取り次いだ。家人は取り次ぐなり、床に座り込んだ。私は電話の内容を聴き、本当はシャワーを浴びるはずだったが、(実は電話で話を聴いてからすぐは浴びるつもりだったけど、考え直して浴びなかった)、着の身着のまま車で某所に向かった。

5~6分で到着。救急車が来ていて、電話をくれたMさんはやはり着の身着のままでつきそってくれていた。救急隊員の方の話では受入病院が決まらないという。そう言いながら救急車のドアが閉じられた。ちらった見た中の患者は身体が真っ白で、素人目にも危険な状態であることがわかった。

今、思い返してみてもなぜ、私はあの時救急車に乗り込まなかったのであろうか?そうだ、すぐに病院に行くだろうと決め込んで、自分の車に戻ったのだろう。しかし、車の中で考えて、やはりいっしょに乗っていこうと思った矢先、三重大病院に行くと言われ、結局、自分の車で行ったのだった。

救急車は大通りをサイレンを鳴らして行く。これを付いて行くのは危険だし、付いていかないと大きく遅れるだろう。私は裏道を行くことにした。それでも結局、大学病院前の交差点で救急車に抜かされてしまう。

救急病棟の入り口に行くと、すでに救急車から病院内に患者は移されていた。救急隊員の方に聞くと、自分たちが着いた時はすでに心肺停止状態で、心臓マッサージをして病院に引継ぎました、と言われた。

病棟の入り口のソファにはMさんが待っていた。私がいっしょに乗ってしまいすみません、とまず詫びられた。詫びるのはこちらの方である。私の判断ミスだ。自分の車を選んだというのはどこかで、大丈夫、助かると思っていたからである。入院するとなれば車があった方が動きやすい。そう、生命力が強いあの人のことだから絶対に大丈夫。そう信じていた。別に何か大きな病気をしているわけでもないし、大丈夫だと。

少しすると、女医さんがやってきた。「残念ながら・・・」と言う。処置室に入る。まだ心臓マッサージをしていたかどうかははっきり覚えていない。たぶんしていただろう。さっきの女医は、心臓マッサージをしても胸が上がらないと言う。

ベットに横たわっている女性は両目を開けている。目に力がない。口にはプラスチックの何かが入れられている。蘇生のための器具なのだろう。呼びかけてみた。2回、3回と。私の知る限り、私が呼びかけて返事をしなかったことはない。身体をさわってゆすりながら呼びかける。それでも返事はない。もう一度目を見る。さっきの女医さんが目にペン型のライトで光を当てて、反応がないことを私に告げる。心電図も真っ直ぐであることも教えてもらう。

私はこれ以上の治療を止めることを決断した。それはベッドに横たわった女性が死ぬことを意味する。

私の母はこうして天に召されてしまった。

つい、4日前に会った時は、いつものように少し元気はなかったけれど、歩いていっしょに買い物もしたのに。足腰は前よりも元気だったのに。アッという間に逝ってしまった。不可思議としか言いようがない。

親不孝だった私をお許しください。
































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Posted by 千代子  at 16:42 │Comments(0)日常

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